介護の本来の姿とは?

私が介護事務として働いている施設は、ベッド数30のショートステイ専門の高齢者施設です。毎日繰り返される入所の際に、自宅で介護をしている人と接しています。

 

介護者の皆さんは、年齢も環境も様々です。しかし、徐々に親しくなると「辛い」「悲しい」「情けない」「分かって欲しい」「死にそう」「助けて欲しい」と同じような言葉が溢れ出てきます。

 

在宅介護は大変だし、辛いものです。24時間一緒にいる家族です。限られた時間で介護をする施設の職員とは全く違います。在宅介護者は、24時間年中無休で重荷を背負っているといっても過言ではないでしょう。これが仕事であれば、高齢者のわがままやしつこい言動にだって仕事と割りきって、繰り返し聞くことが可能です。

 

四六時中続く家族だったら…どうでしょうか?冷静さを欠いたり、気持ちが沈むのは当然のことです。余裕が無くなると、何気ない高齢者の小さな言動に傷付くこともあるでしょうし、疲弊してしまうこともあるでしょう。日本では忍耐は美徳、といった風潮がありますが、私はイエスとは言えます。それどころから、介護者にとっては時として危険な言葉にもなりうると思っています。

 

自分が望んで決めた目標や夢に向かって頑張るのであれば、失敗しても誰も文句は言えないでしょう。しかし、自発的な意思のない介護の世界に耐えて忍ぶ、ことを推奨するのはいかがなものだろう。その時、介護者は心のどこかに「やらされている」というやりきれない思いが生まれてくるのも当然だと思うのです。

 

人はそこまで強い生き物ではありません。犠牲的な精神からは、本当に喜びは生まれないと思っています。犠牲的精神から生まれる介護は、決して美しい行為ではありません。介護する側と介護をされる側が、対等に幸せになれる仕組みを国や社会が模索していくべきだと思っています。

 

すぐには実現することは困難かもしれませんが、高齢化は益々進行しており、現実の世界では綺麗事では済まされないことも頻繁に起こっています。せめて、介護が忍耐ではなく、納得に支えられた生活であって欲しいものです。